2017.11.19のサンデー毎日が気になったので
今日は斉藤由貴さんについて
新曲を出したいと
新曲話がでていますね!
斉藤由貴さんの曲は恋愛系が多いので、
そしたら恋愛ものでしょうか
ドラマティックな恋愛をしてきた
斉藤由貴さん
斉藤由貴さんといえば
足下、50代医師との不倫がクローズアップされますが
尾崎豊さん、川崎麻世さんと
ドラマチックな恋愛をしてきたんですよね
特に、尾崎豊さんとの交際は
不倫よりも恋愛を感じさせるものでした
新曲を考える上でも
尾崎豊さんとの恋愛は
振り返っておきたいと思います
尾崎豊さんとの恋愛
尾崎豊さんとの恋愛について
斉藤由貴さんは
私は今、とてもつらい恋をしています。苦しくて、でも、どうすることもできない恋です
と泣きなら
コンサートのMCで話したともいわれています
その背景を振り返っておきたいと思います
時系列で見ると二人の交際はもっとはやかった?
尾崎豊さんは
1965年11月29日生まれ
斉藤由貴さんは
1966年9月10日生まれという同世代
これ以上のカップリングはいないだろう
という組み合わせでした
ただ、
尾崎豊さんは
1983年に「15の夜」でデビュー
1985年に「卒業」
1986年に活動休止するも
1987年に復帰、そして父が覚醒剤で通報・逮捕(執行猶予3年)
1988年5月12日に繁美さんと結婚
1889年7月24日には長男裕哉さんが生まれ父親に
しかしながら
1990年10月に奥さんとは別居してます
そして
斉藤由貴さんは
1985年に「卒業」でデビュー
1989年の歌のトップテンでは
井上揚水さんのカバー曲「夢の中へ」の対談の中で
結婚式の当日、相手に女の人がいて、
つれていっちゃったりと
真意はともかく
そういった発言をしているのですよね
尾崎豊さんが結婚したのは
前年の1988年
もしかしたらこのときから
好意はあったのかもと思ってしまいます
尾崎豊さんが1988年に拘置所で
斉藤由貴さんのグラビアを見てファンになった
といわれていますが
なんらかの交流はあったのかもしれません
公式な二人の交際の始まりは
まさに尾崎豊さんが繁美さんと別居した
翌月の1990年11月
タイミングが良すぎです
月刊カドカワの対談で二人は出会ったとされ
1991年の小樽不倫旅行が
3月にフライデーされる形で明るみになります
斉藤由貴さんは
二人の関係について「同志」と表現しますが
明らかに恋愛ですよね
その同志発言の記者会見は1991年4月でしたが
同志みたいな感じ。気まずくなっちゃったんですよ~
とそんなトーンでしたので
その明るさが良かったのかもしれません
一転、尾崎豊さんとの破局。別れの理由は
1991年の秋
尾崎豊さんは斉藤由貴さんと一方的に別れた
とされています
尾崎豊さんの父親は
息子のために別れさせたいと
繁美さんの実家に相談し
尾崎豊さんも
繁美さんに離婚を切り出したといわれています
離婚調停も行ったようですが
斉藤由貴さんと交際・結婚するから離婚では
不貞行為そのもの
繁美さんは
首を縦に振らなかったといわれており
離婚調停の結果は不調
尾崎豊さんと斉藤由貴さんの
二人の恋は終わります
仮に二人の仲が続いたとしても
斉藤由貴さんはモルモン教徒
尾崎豊さんは創価学会員と
宗教的な問題で別れる定めだったかもしれませんね
尾崎豊さんと死別
1991年11月に日蓮正宗から創価学会が破門されると
尾崎豊さんと父・兄は日蓮正宗へ
奥さんの繁美さんは創価学会に残りました
そして
1992年4月25日、尾崎豊さんはなくなります
尾崎さんが亡くなった理由については
他殺説や自殺説など様々な説がありますが
司法解剖時に検死を担当した支倉逸人氏は著書「検死秘録」の中で、大量の覚せい剤服用が肺水腫を引き起こし、死亡したと結論付けている。
よくいわれているのは
日本酒を多量にのんでいて、覚醒剤が服用され、
臓器不全の状態で覚醒剤は消化されず
といった形です
尾崎豊さんに関しては
自殺願望はあった、といわれていますので
斉藤由貴さんと交際しているときは
不可解な死に回る部分はどうだったのか
気になりますよね
さすがに
尾崎豊さんが亡くなった直後のインタビューは
斉藤由貴さん本人ではなく
マネージャーさんが対応されていました
斉藤由貴さんは、その後
川崎麻世さんと不倫
1993年にまたフライデーされ発覚
カイヤさんがぶち切れます
期待したい新曲は
尾崎紀世彦さんの
また逢う日まで、のような歌を歌ってほしい気もしますが
イメージに合わない感じ?
軽い、楽しい恋愛もいいけど
大人の感じのもいいですよねー
別れの理由は話せば
すべてをなくしますからね
やはり大恋愛という意味では
尾崎豊さんとの恋愛と別れぐらいが
いろいろな意味で丁度いいのもしれません